2017年1月28日

上江洲忠弘「集合論・入門」

いつもより調子が上がっているかもしれない.



(集合論の部分を読んでみて…,と書こうとしたが,これは集合論の教科書であることに気づく)

◆集合の相当性とは

「集合の相等性」の定義について,「しばしば見かける定義ではまずい」と書いている.

「しばしば見かけるマズイ『集合の相等性』の定義」は,どう修正されるべきかについて,どこをどう読んでも書かれていないように見えるのは,私の読解力の不足なのだろうか.

よく読めば,「相等性の公理」を認める必要がある,ということのようだ.

「微分積分学の教科書では,筆者の好意により『相等性の公理』は成り立つものとしてあげるからOKです.でも『集合の相等性』の定義などクソですよ.だって集合論の教科書にはどこにも『相等性の公理』が成り立つって書いてないんだもん」と言いたいのだろう.

微分積分学では好意的に,集合論では敵対的にということらしい.

節のタイトルに「集合の相等性」と書きつつ,書いてあるのは「相等性の公理」である.

「相等性の公理」を認めても,「しばしば見かける集合の相等性の定義」はマズイのだろうか.そのあたりのことは何も書かれていない.

「しばしば見かける『集合の相等性』の定義」がマズイのではなく,「相等性の公理」を前提としなければ,マズイ場合があると言うことだ(と私は解釈した).一見当たり前に見える命題が証明できない.

しかしながら「微分積分学の教科書では当然成り立つものとしているはず」と書いているのだから,「集合論の教科書でも当然成り立つものとする」のが自然だろう.

言いたいこととに対して,文章の構成がちぐはぐで,そのことのほうがマズイ.

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「しばしば見かける『集合の相等性』の定義」に「等しい」という単語があることを問題にしているだけのようにも思える(私の頭では).

「外延性の公理」には「等しい」という単語はなく,「集合の相等性」の定義には,それがある.

「外延性の公理」の文言に「等しい」という単語を加えれば,それは「しばしば見かける『集合の相等性』の定義」である.そして,それはマズイ(私の読解力では,そういうことのように思える).

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集合 \(A,\,B\) が \(A=B\) であるとき,「集合 \(A\) と集合 \(B\) は等しい」といってはいけないのだろうか?

「しばしば見かける『集合の相等性』の定義」に「相等性の公理」を追加すれば,それでいいのだろうか,それでもダメなのだろうか?

「外延性の公理」を認めれば,「相等性の公理」は仮定しなくてもいいのだろうか,仮定すべきなのだろうか?

「外延性の公理」と「しばしば見かける『集合の相等性』の定義」の違いは? 関係は?

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まとめると,「集合の相等性の定義はマズイから,相等性の公理である.だからといって,集合の相等性の定義ってナニ?」ということである(違).

http://www.ma.kagu.sut.ac.jp/~abe/sub2.htmlも読んだが,「しばしば見かける『集合の相等性』のマズさ」が何を指すのかわからないでいる)

 「集合の相等性」の節だけでいいので,私にわかるように書き換えてくれないだろうか.





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4 件のコメント:

  1. 激しく同意
    私も疑問点が同じです。

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    1. takanori さん

      「それな」といってくれる方がいてよかった(笑)
      ほんと,あの部分ははっきりさせて欲しいなと思っています.

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  2. 相等性の公理と呼ばれているものは等号公理のことだと思います。集合論に限らず数学理論の基礎に置く論理学の一部として考えています。すべての数学理論の共通の基盤が古典述語論理プラス等号公理です。その上で集合に関しては外延性公理が成り立つ。あくまでこれは公理であって、等しいことの定義ではないということです。著者はこれを等号の定義と呼ぶことは間違いだといっているだけだと思います。

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  3. 外延性公理は等号(=)と集合論の基本述語である∈のあいだの関係を公理として定めたものだと思います。

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