2016年12月27日

嘉田勝「論理と集合から始める数学の基礎」

いつもと同じ調子でいく.


集合論の部分を読んでみて感じたところは,以下の通りである.

◆集合の定義

1.1.1節「集合とは」の中の「集合は,同一の要素を2個以上持つことはありません」というのがまるで定理のようだ.証明できるのだろうか.

こういう思い切ったことは私には書けない.「同一の要素が2個以上含まれるときは,これを1つの要素と見なす」という但し書きを付けるのが精一杯である.

著者の言う通りなら「同一の要素を2個以上持つ集まりは,集合ではない」ということになるが,許されるのだろうか.

しかも,1.1.2節「集合の書き表し方」において,\(\{1,\,1,\,2,\,3,\,4\}\)という集合を許しているではないか.「1度だけ書くのと同じ」と態度が軟化している.

「\(\{1,\,1,\,2,\,3,\,4\}\)は集合ではない」ぐらいは言ってほしいものだ.

複数の専門家と出版社が原稿に目を通しているはずなのだが,誰も何も言わなかったのだろうか.

◆集合の相等の定義

1.1.1節「集合とは」の中の「集合の相等」における集合の相等の定義で,「2つの集合\(A\)と\(B\)がが持っている要素が同じとき」と書いているが,この書き方では,解釈に幅が出るのではないか.

そこだけを見ると,同じ集合である\(\{a,\,b,\,c\}\)と\(\{a,\,b,\,c,\,c\}\)とが,異なる集合になってしまう(と私には思える).

なお,同書では,集合の定義において「同一の要素を2個以上持つことはありません」と書いて,上のことを回避している.

もっとも,本書の記述に従うなら, \(\{a,\,b,\,c,\,c\}\)は集合ではないから,\(\{a,\,b,\,c\}\)と\(\{a,\,b,\,c,\,c\}\)は,同じ集合でもなければ,異なる集合でもないが.

◆部分集合と真部分集合

「コラム[2] 部分集合と真部分集合」で,部分集合を表す記号に「\(\subset\)」を用いる理由を書いているが,無理がある.

重要性が低いというのは(今回の場合)理由にならない.

「同一視できるから,この記号を使う 」というのであれば,わかるが,「真部分集合の重要性は低いから,部分集合はこの記号を使う」のは,理由になっているとは思えない.

部分集合を \(\subseteq\) で,真部分集合を \(\subset\) であらわすのは,同書の脚注に書いてある通り,大小関係を表す記号\(<,\,\leqq\)からの連想であり,自然であると考える.

重ねていうが,このケースにおいて「あちらの重要性が低いから,こちらではあちらの記号を使う」というは理由にならない(なっていない).

「本書では部分集合を表す記号に「\(\subset\)」を用いる」とだけ書いておけば,それでいい.理由付けは余計だ.


★他書にはない情報がある
空集合を表すのによく使われる記号 \(\phi\) が正式なものではないというのは,この「コラム[1] 空集合の記号」で知った.

空集合の記号は書物によって異なるのだが,これは著者の習慣によるものだと思っていた.

なお,\(A\cap B\)と\(A\cup B\)を「\(A\)かつ\(B\),\(A\)または\(B\)」と読んでいたのは私である(コラム[4] 集合の記号の読み方).

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納得できる部分とできない部分との差が激しい本である.



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2016年12月19日

「集合論(数学で行こう)」第4版

自著「集合論(数学で行こう)」の第4版をAmazon Kindle にて公開した.



主な改訂個所は以下の通り;

★「〜から成る集合」の定義を修正した.

誤読される表現だったので,これを修正した.

★直和の定義に,直和の表記を追加した.

これに伴い,直和の表記の適用箇所を修正した.

★対応・写像の記述を再構成した.

対応の節で定義した用語を写像の節で用いる場合,重複をいとわず,改めて定義するようにした.
(写像ことはできるだけ写像の節だけで完結させ,対応の節を読み返さなくてもいいようにしたかったため)

★順序集合に関する注意を追加した.

本書では「順序」を「半順序」の意味で,「順序集合」を「半順序集合」の意味で用いている.このことを注意として明記した.

★誤字脱字を修正した.

LaTeXの自作マクロのタイプミスによる,数式の錯誤他を修正した.

◆製本版を延期

第4版を製本版としても販売する予定だったが,これを第5版以降に延期する.
(再構成を検討した方が良い個所,追加した方が良い項目など,見直すべき個所が増加したため)



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2016年11月22日

大田春外「はじめての集合と位相」

この本にも何度か助けられた.が,気になる点がある.


集合論の部分を読んでみて感じたところは,以下の通りである.


★問の解答はすべて付けている.
こういうことは当たり前であるから,本来は評価の対象にはならないものだ.

一方,章末の演習問題には一切解答を付けないという徹底ぶりである.ある種の清々しさを感じる.


◆対応の定義が写像の定義のあとから出てくる.
定義3.6の写像の定義は不完全であると註3.15で指摘しているが,定義3.6での「対応関係」を一般用語と解釈すれば,この写像の定義で十分だと思う.

対応の定義を述べる前の「定義3.6の写像の定義は不完全である」という断りは必要だったのかどうか.

私だったら,註3.15の中で「写像を一般化した対応の定義を述べる」と書いて,続ける.

また,註3.15程度の内容であれば,写像の定義の前に対応の定義を挿入してやれば,それで十分である.

わざわざ読み手を混乱させるように構成した意図が私には分からない.


◆対応の定義を書くなら,始域の定義もあった方が良い.
対応の定義を書くなら,始域(始集合)についても書いた方がいい.

写像の場合は,定義域と始域は一致するから,定義域だけでも問題ないだろう.

しかし,対応の場合は,定義域と始域が一致しない場合があるから,それらを区別するためにも,始域の定義はあった方が良いと考える.


▲差集合の定義
このエントリーを書くにあたって,改めて同書を確認していたのだが,差集合の定義の文言が変である(定義1.17 p8).

「集合 \(A-B\) を \(A\) から \(B\) をひいた差集合という」と書いてあるが,これは「集合 \(A-B\) を差集合という」とした方がいいように感じる.

前者の表現だと,差集合には種類があって,そのうち「集合 \(A-B\) で定義される差集合」を「 \(A\) から \(B\) をひいた差集合」というのだと解釈できうる.

「 \(A\) から \(B\) をひかない差集合」というものがありそうである.

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いつも通りの重箱の隅をつつく内容だが,気にし出すと放っておけなくなる.



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2016年11月12日

「集合論(数学で行こう)」第3版

自著「集合論(数学で行こう)」の第3版をAmazon Kindle にて公開した.



主な改訂個所は以下の通り;

★付帯的な説明を「定義・注意・補足・規約」として再構成した.

★パラグラフの構成を再検討した.
証明内の数式を行内から独立数式にすることで,見た目を改善した.これにより, 紙面が「白く」なり,べた書きの読みにくさは軽減されたと思う.

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その他,誤植に相当する間違いは,見つけたものは修正した.

内容は殆ど変わっていないが,見た目はかなり変わった.

説明の足りない個所・追加した方が良い項目等,今回の改訂で積み残した部分がまだある.これは第4版で修正する予定だ.

また,第4版を製本版として出版することも考えている.



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2016年11月1日

小林貞一「集合と位相」

コンパクトな教科書であるが,この本がなければ,自著「集合論」は完成しなかったかもしれない.


集合論の部分を読んでみて感じたところは,以下の通りである.

★定理の証明・問の解答を省いていない
定理の証明,問や章末問題の解答は省略せずにすべて書いてあるようだ.

私が目の敵にしている「証明・解答の省略」は,この本にはなかったように思う.見た限り,少なくとも略解・ヒントは載せてある.

こういう当たり前のことで,評価が甘くなるというのも変な話ではある.


★センスの無い例え話もない
集合の対等に関する,リンゴのたとえ話はどうなんだということはあるが,御愛嬌ということで流す.

また,全体的に読みやすい文章である(引っかかる文章が見当たらなかったという方が正確かもしれない).


◆ツォルンの補題は省かれている
順序数については書いてあるが,ツォルンの補題については省かれている.

位相には関係ないから省いたのかもしれないが,本のタイトルに「集合」とある以上,集合に関しては一通り書くべきだ.


◆新刊では入手できない
オンデマンドでも電子書籍でも良いので,新刊で購入できるようになることを願う.

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付帯的な説明は少なめで,要点を手際よくまとめたという印象である.




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2016年10月20日

赤攝也「集合論入門」

集合論の教科書は,この本を底本にしているのではないかと思うことがある.


この本を読んで感じたところは,以下の通りである.

★注意点や背景など書くべきことを書いている
集合の概念について,抽象的すぎず,かといって突飛なたとえ話でもなく,ほどよい説明である.

空集合の説明も同様である. 背景となる考え方を丁寧に説明している.

書物によっては,冒頭の「集合の概念」の部分が,勝ち抜きトーナメントの話だったり(素直に何かの集まりの話をすればいい),昔の人気番組「8時だヨ!全員集合」の話だったりする(このあと「全員集合」というのだからみんな集まるのだろう,みたいな話が続く).


 ★読みやすい文章
もって回ったような表現は目立たない.また,読んでいて「何故そうなるのか.何故そんなことがいえるのか」と引っかかるところも少なかったように思う.

頻繁に出てくる「しからば」という言葉が,なんとなく新鮮に思えるのは文体によるのだろうか.


◆なんとなくすっきりしない部分もある
この本にも「あきらかに何々」という表現が出てくる.数学の教科書に限れば,この言葉は使用禁止にするべきだと考えている.

内容とは関係ないのだが,数式を独立させずに「行内数式」としている個所が多いためか,見た目にメリハリがなく,のっぺりとしているように感じる.加えて,べた書きの文章が多い点も,見やすさを損ねている.


★巻末の参考書が改訂されている
初版発行時にはまだ出版されていなかった本が,増補版に参考書として載っており,初版・増補版・文庫版と,参考書を見直しているようである.

また,旧版の索引はアルファベット順に構成されていて参照しにくかったが,文庫版では五十音順に改められており,見やすくなった.

これらのような改善は,読み手にとってありがたい(もっとも,日本語の索引をアルファベット順で構成するなど,私の考えではあり得ないことである).


◆問の答えが一部省略されている
この本においても,問の答えは一部省略されている.

初学者・独習者にとって回答の省略は困る.「自分で考えろ」ということなのかもしれないが,それなら,答えを見ずに考えれば良い.解答を省く理由にはならない.

分からないときは,解答を見ながら考えるというのも1つの方法である.

考え方の選択肢を奪ってはいけない.


◆現在販売されているのが文庫版である.
旧版のB6サイズか,A5サイズでの復刻を願う.

数学の本を「文庫サイズのみ」とするのはやめるべきだ.もし私が出版社の上層部の人間なら,数学の本の「文庫サイズだけでの出版」は許可しない.もっとも「文庫サイズも」ということなら,反対はしない.

文芸書のように,気軽に読めるものなら,手軽なサイズは重宝する.もって歩くにも邪魔にならず,さっとカバンから取り出して読むことができるのは良いことだ.

しかし,数学の専門書は気軽な読み物ではない.さっとカバンから取り出して読んだりはしないのである.腰を据えて読むには,文庫サイズは小さすぎる.ある程度のサイズが欲しい.

要するに,机上で本を開いたままにしたいから,ある程度のサイズは必要だということである.しかし,大き過ぎては場所をとる.

私の感覚では,数学の書物はA5版であるべきだ(ここは敢えて言い切る).新書版・文庫版では小さい.B6版はグレーゾーンだ.B5版以上のサイズは逆に大きすぎると感じる.

品切・絶版になってしまうことを思えば,文庫版であっても手に入るのはありがたいことではある.だが,そこで「しかし」といいたくなるのである.

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メインに据えて通読し,他の本でわかりにくいところを補うようにした方が良い. 副読本としては使いにくいように思う.




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2016年10月11日

数学の勉強法

数学の勉強に必要なものは「やる気」である.
数学の勉強ですべきことは「覚える」ことである.

定義を覚える.定理を覚える.証明を覚える.

数学の勉強の方法は「覚えるまで繰り返す」「慣れるまで繰り返す」ことである.

要諦は以上である.



数学の勉強に,楽な方法はない.
数学の理解に,成績の良し悪しは関係ない.
ただし,数学が好きか嫌いかは関係する.

「繰り返す」というのは数学に限らず,勉強・練習・稽古・訓練などにも当てはまるはずである.

「覚えるだけでいいのか」と問われれば,「はいそうです」と答える.もちろん,そう言い切ってしまうことに問題があることは分かっている.覚えることは十分条件ではなく,必要条件だろうから.ただ,必要条件は満たされなければならない.

こういう風に訊いてくる人は,まだ「覚えていない」状況だろうから,「理解=覚える」と考えて差し支えない.

「慣れるまで繰り返す」には,例題や演習問題を解くことも含んでいる.

何度繰り返しても覚えられない,ピンとこないということはよくある.そういうときは,そこで足踏みせず,先へ進む方がよい.あとになって読んでみると,すんなりとわかることが多い.なぜ分からなかったのかが分からないぐらい,すっと頭に入ってくることがある.ただし,「どのぐらいあとに」と聞かれれば,「わからない」としか答えられない.3時間後か,3日後か,3週間後か,3ヶ月後か,3年後か,もっと後か,何時になるかは分からない.しかし,分かる瞬間は必ずやって来る.

「覚えられない.分からない」ときに繰り返すことは苦痛だ.しんどいときに粘って繰り返す,踏ん張って繰り返す,あきらめずに繰り返す.それを支えるのが「やる気」である.

やる気があれば,早い遅いはあっても,なんとかなる.


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2016年10月6日

松坂和夫「集合・位相入門」

私に集合論を書くきっかけを与えてくれたのがこの本である.

 

集合論の部分を読んでみて感じたところは,大体において以下の通りである.

◆納得の押しつけ
たとえば,第1章 §1 D)部分集合で,命題「PならばQ」の真偽についての説明があるが,この説明ではとても納得できない.しかも「以上で・・・論理法則上自然な約束であることが納得されたであろう」とはなんという書き方であろうか.納得するかしないかは読み手の判断であって,書き手が勝手に決めることではない.

「Pが偽のとき,『PならばQ』は真である」を納得してもらうように説明することは容易ではない.

◆たとえ話
「対応」の説明での「選挙人と被選挙人」のたとえ話はなんのために入れたのだろうか.対応の考え方はそんなにわかりにくい概念ではない.

理解を手助けするためのたとえ話なら,上記の「PならばQ」の説明にこそ必要だ.

◆「明らかに◯◯」という個所か少なからず見受けられる.むしろ多い.
私にとって,明らかではない個所がある.いったい何のために途中を省略するのか.説明が面倒なら本など書くなといいたい.

◆証明を省略している.
証明を演習問題としたり,読み手に丸投げすることは別にかまわないが,その解答を載せないというのは問題である.

 ◆くどい説明
説明すべきを説明するためにくどくなっているのなら構わないのだが,全体的に,要領を得ないくどさであると感じる.

くどいのがダメというわけではない.たとえば,橋本治の文章のくどさは嫌いではない(読むのは疲れるが).

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揚げ足とりの,こき下ろしな感想だが,腰を据えて読んでみてのことだから仕方がない.このエントリーの第一稿はもっとボロカスに書いていたが,夜中に勢いで書いたものだったので,ボツにした.

集合論に関して,まともに読んだ最初の本である.読み進めるうちに,わからなさと共にだんだん腹が立ってきて,いっそのこと(自分用の)教科書を書いてしまえとなった.他の本で学び始めれていれば,また違ったかもしれない.

2016年9月28日

「集合論」の販売サイトをAmazonに変更

集合論の販売サイトをDLmarketからAmazonへ変更した.→【集合論(数学で行こう)】
(ウインドウ右下の表紙画像付きのリンクも修正している)

DLmarketの方は,販売を一時休止にしているので,前回までのブログエントリのリンクをクリックしても表示されない.少なくともしばらくの間はAmazonでの独占販売である.

PDFからKindleフォーマットへの変換ができることを知らなかった.わかっていれば,第1版からAmazonで出版していたのだが.

Kindle for Macでサンプルを確認したところ,本文内のリンクが無効になっているようだ(他の端末でも無効かどうかはわからない).

2016年9月26日

「集合論」第2版 販売開始

集合論の第2版がようやく完成した.
数日前より,ダウンロード販売サイトDLmarketにて,PDFファイルを販売している.→【集合論(数学で行こう)】(Amazonに変更しました→集合論(数学で行こう)

第2版で当初予定していたかたちになった.


本冊子の1つめの特徴は「定理・命題の証明を省かずに書いた」ことである.

定理の証明は数学の要諦であるから,それを省くなど道断である.殆ど自明な定理であっても,証明を省くのはダメである.例え1行で済む証明であっても省いてはいけないというのが私の考えである.


2つめの特徴は「図がない」ことである.

図は,理解のための便宜を図るものであって,本質ではないという考えを推し進めた結果である.
(本質ではないというのは言い過ぎかもしれないが,敢えてこういう表現をする)

円や楕円で集合をあらわすことが多いが,それに惑わされて,集合とは円で囲まれたものであるというようなとらえ方をされる場合があるらしい(出所不明の伝聞だが).それならばいっそのこと,図を書かずに,論理だけで示していくというのも一つの方法だと考えた.

ただ,図があった方がわかりやすいだろうから,今後,改訂を進める中で,図を追加していくかもしれない.


3つめの特徴は,いわゆる「全書式」の形式をとったことである.

集合論に限らず,殆どの数学の教科書は,いわゆる「講義式」で書かれている.悪くはないのだが,時折,どこからどこまでが定義で,どこからが定理で,証明がどこから始まってどこで終わっているのかが,つかみにくい場合がある.

教科書自体が著者の口述筆記のようになってしまっていて,定理の前提条件が離れたところにさりげなく書いてあったりする.一個所にまとめて書いていないので,要点をつかみづらく,自分用のノートがつくりにくいのである.


もう一つ,特徴というほどではないが,気をつけたこととして,「あきらかに何々である」という表現を使わなかった点を挙げる.

数学の専門家の書き癖なのか習慣なのか,「あきらかに何々である」とかけば,それが免罪符となって,途中をばっさりと切り捨て,好きなだけ省略してもいいようである.


なお,数理論理の基本的なことは既知として話を進めたので,本冊子ではそのあたりの解説はしていない.集合論を書くにあたって,内容を集合論に絞るべきとの考えからである.

数理論理に関しては,集合論の補足とするか,別冊子とするか,このブログで書くか,いずれ何らかのかたちでの説明は必要だと考えている.

2016年9月20日

「集合論」第2版の進捗状況

「第5章 順序数」の原稿確認は概ね完了した.

既刊の第1章から第4章の間違い探しをしている.

また,「順序写像かつ単射であるが,順序単射ではない例」を追加した.

予定よりも少し遅れるが,第2版はあと2-3日で公開できる見込みだ.

2016年9月7日

「集合論」第2版の原稿書き

自著「集合論」に追加する「第5章 順序数」の原稿を確認している.

順序単射の命題3.1.4の証明がなんだかよくわからないことになっていたので,修正した.
あと,定理や定義の条件が抜けている個所もあったので,訂正.

しばらく間をおいて見直すと,色々見つかる.



順調にいけば,第2版は1-2週間で公開できる予定だ.

2016年8月17日

集合論の本(冊子)を書いた

集合論の教科書(参考書)を書いた.→集合論(数学で行こう)

自分用の教科書として書いたが,参考書の1冊に加えてもらえればと考えている.



集合論の教科書は多く出版されているが,定理の証明・演習問題の解答の一部もしくは全部を省略している本が結構ある.そうされると,私のような人間にはわからない.

定理の証明・演習問題の解答を省かずに書いている集合論の教科書は少数ではないか.

集合論を学びたいから教科書を買うわけで,わからないまま放っておかれるためにその本を買うわけではない.定理のすべてに証明を,演習問題のすべてに解答を付けることは,専門家にとっては造作ないはずである.

証明が省かれている定理・解答を省いた演習問題がある本は,担当教員のいる数学科の学生向けのものだというなら,学内だけで販売すればそれで良く,一般の目に触れるところに並べる必要は無いだろう. どうしても一般向けにというなら「◯◯大学数学科の学生向け」と副題をつけて,それと分かるようにしてもらいたい.

「おまえはそんな簡単な定理の証明もできないのか」といわれれば,「そうだ」と答えるほかない.

結局,1つの定理の証明を求めて,何冊も集合論の本を買う羽目になる.

また,位相のための集合論ということだろうか,集合論の項目を端折っている教科書がある.

位相がメインなら,書名は「位相」とか「位相入門」あたりにしておけばいい.そうすれば,集合論については,書いてあっても,位相に必要なことだけだろうと想像がつく.



上記のような(偏った)状況分析を発端として,自分用の集合論の教科書を独習しながら書いた.

その冊子は,当然ながら,私にはわかるようになっている(行間が空いている箇所や,抜けいている項目があるだろうが,私が自分で読む際には脳内補完されるので問題ない).

また,定義・定理・証明が淡々と続く全書式的な書き方にしている.講義式の教科書によくある,定義・定理・証明を区別せずにべた書きする方法が気に入らないことの裏返しである.定義・定理・証明の境界を探す一瞬の思考が煩わしい.

中身について,間違い無しとはしない.数学の専門教育を受けていない個人が独習しながら書き, その確認も自分で行っている.それ故,初歩的な誤りや論理的な錯誤があると思う(購入してくれたかたには申し訳ないが,ここは開き直るほかない).もちろん,見つけ次第,訂正する.




素人がこういう本を書いて公にするという行為は,やる気は十分だがどうしようもない運動音痴が草野球の試合で張り切ったあげくにチームの足を引っ張りまくるようなもの,かもしれない.

上で述べたような集合論の教科書の現状を放っておけないと,一人で盛り上がって,一人で書いて,一人でわりと納得している.