集合論の部分を読んでみて感じたところは,以下の通りである.
◆集合の定義
1.1.1節「集合とは」の中の「集合は,同一の要素を2個以上持つことはありません」というのがまるで定理のようだ.証明できるのだろうか.こういう思い切ったことは私には書けない.「同一の要素が2個以上含まれるときは,これを1つの要素と見なす」という但し書きを付けるのが精一杯である.
著者の言う通りなら「同一の要素を2個以上持つ集まりは,集合ではない」ということになるが,許されるのだろうか.
しかも,1.1.2節「集合の書き表し方」において,\(\{1,\,1,\,2,\,3,\,4\}\)という集合を許しているではないか.「1度だけ書くのと同じ」と態度が軟化している.
「\(\{1,\,1,\,2,\,3,\,4\}\)は集合ではない」ぐらいは言ってほしいものだ.
複数の専門家と出版社が原稿に目を通しているはずなのだが,誰も何も言わなかったのだろうか.
◆集合の相等の定義
1.1.1節「集合とは」の中の「集合の相等」における集合の相等の定義で,「2つの集合\(A\)と\(B\)がが持っている要素が同じとき」と書いているが,この書き方では,解釈に幅が出るのではないか.そこだけを見ると,同じ集合である\(\{a,\,b,\,c\}\)と\(\{a,\,b,\,c,\,c\}\)とが,異なる集合になってしまう(と私には思える).
なお,同書では,集合の定義において「同一の要素を2個以上持つことはありません」と書いて,上のことを回避している.
もっとも,本書の記述に従うなら, \(\{a,\,b,\,c,\,c\}\)は集合ではないから,\(\{a,\,b,\,c\}\)と\(\{a,\,b,\,c,\,c\}\)は,同じ集合でもなければ,異なる集合でもないが.
◆部分集合と真部分集合
「コラム[2] 部分集合と真部分集合」で,部分集合を表す記号に「\(\subset\)」を用いる理由を書いているが,無理がある.重要性が低いというのは(今回の場合)理由にならない.
「同一視できるから,この記号を使う 」というのであれば,わかるが,「真部分集合の重要性は低いから,部分集合はこの記号を使う」のは,理由になっているとは思えない.
部分集合を \(\subseteq\) で,真部分集合を \(\subset\) であらわすのは,同書の脚注に書いてある通り,大小関係を表す記号\(<,\,\leqq\)からの連想であり,自然であると考える.
重ねていうが,このケースにおいて「あちらの重要性が低いから,こちらではあちらの記号を使う」というは理由にならない(なっていない).
「本書では部分集合を表す記号に「\(\subset\)」を用いる」とだけ書いておけば,それでいい.理由付けは余計だ.
★他書にはない情報がある
空集合を表すのによく使われる記号 \(\phi\) が正式なものではないというのは,この「コラム[1] 空集合の記号」で知った.
空集合の記号は書物によって異なるのだが,これは著者の習慣によるものだと思っていた.
なお,\(A\cap B\)と\(A\cup B\)を「\(A\)かつ\(B\),\(A\)または\(B\)」と読んでいたのは私である(コラム[4] 集合の記号の読み方).
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納得できる部分とできない部分との差が激しい本である.
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