2016年10月20日

赤攝也「集合論入門」

集合論の教科書は,この本を底本にしているのではないかと思うことがある.



この本を読んで感じたところは,以下の通りである.

★注意点や背景など書くべきことを書いている
集合の概念について,抽象的すぎず,かといって突飛なたとえ話でもなく,ほどよい説明である.

空集合の説明も同様である. 背景となる考え方を丁寧に説明している.

書物によっては,冒頭の「集合の概念」の部分が,勝ち抜きトーナメントの話だったり(素直に何かの集まりの話をすればいい),昔の人気番組「8時だヨ!全員集合」の話だったりする(このあと「全員集合」というのだからみんな集まるのだろう,みたいな話が続く).


 ★読みやすい文章
もって回ったような表現は目立たない.また,読んでいて「何故そうなるのか.何故そんなことがいえるのか」と引っかかるところも少なかったように思う.

頻繁に出てくる「しからば」という言葉が,なんとなく新鮮に思えるのは文体によるのだろうか.


◆なんとなくすっきりしない部分もある
この本にも「あきらかに何々」という表現が出てくる.数学の教科書に限れば,この言葉は使用禁止にするべきだと考えている.

内容とは関係ないのだが,数式を独立させずに「行内数式」としている個所が多いためか,見た目にメリハリがなく,のっぺりとしているように感じる.加えて,べた書きの文章が多い点も,見やすさを損ねている.


★巻末の参考書が改訂されている
初版発行時にはまだ出版されていなかった本が,増補版に参考書として載っており,初版・増補版・文庫版と,参考書を見直しているようである.

また,旧版の索引はアルファベット順に構成されていて参照しにくかったが,文庫版では五十音順に改められており,見やすくなった.

これらのような改善は,読み手にとってありがたい(もっとも,日本語の索引をアルファベット順で構成するなど,私の考えではあり得ないことである).


◆問の答えが一部省略されている
この本においても,問の答えは一部省略されている.

初学者・独習者にとって回答の省略は困る.「自分で考えろ」ということなのかもしれないが,それなら,答えを見ずに考えれば良い.解答を省く理由にはならない.

分からないときは,解答を見ながら考えるというのも1つの方法である.

考え方の選択肢を奪ってはいけない.


◆現在販売されているのが文庫版である.
旧版のB6サイズか,A5サイズでの復刻を願う.

数学の本を「文庫サイズのみ」とするのはやめるべきだ.もし私が出版社の上層部の人間なら,数学の本の「文庫サイズだけでの出版」は許可しない.もっとも「文庫サイズも」ということなら,反対はしない.

文芸書のように,気軽に読めるものなら,手軽なサイズは重宝する.もって歩くにも邪魔にならず,さっとカバンから取り出して読むことができるのは良いことだ.

しかし,数学の専門書は気軽な読み物ではない.さっとカバンから取り出して読んだりはしないのである.腰を据えて読むには,文庫サイズは小さすぎる.ある程度のサイズが欲しい.

要するに,机上で本を開いたままにしたいから,ある程度のサイズは必要だということである.しかし,大き過ぎては場所をとる.

私の感覚では,数学の書物はA5版であるべきだ(ここは敢えて言い切る).新書版・文庫版では小さい.B6版はグレーゾーンだ.B5版以上のサイズは逆に大きすぎると感じる.

品切・絶版になってしまうことを思えば,文庫版であっても手に入るのはありがたいことではある.だが,そこで「しかし」といいたくなるのである.

-

メインに据えて通読し,他の本でわかりにくいところを補うようにした方が良い. 副読本としては使いにくいように思う.




にほんブログ村 科学ブログ 数学へ
にほんブログ村

2016年10月11日

数学の勉強法

数学の勉強に必要なものは「やる気」である.
数学の勉強ですべきことは「覚える」ことである.

定義を覚える.定理を覚える.証明を覚える.

数学の勉強の方法は「覚えるまで繰り返す」「慣れるまで繰り返す」ことである.

要諦は以上である.



数学の勉強に,楽な方法はない.
数学の理解に,成績の良し悪しは関係ない.
ただし,数学が好きか嫌いかは関係する.

「繰り返す」というのは数学に限らず,勉強・練習・稽古・訓練などにも当てはまるはずである.

「覚えるだけでいいのか」と問われれば,「はいそうです」と答える.もちろん,そう言い切ってしまうことに問題があることは分かっている.覚えることは十分条件ではなく,必要条件だろうから.ただ,必要条件は満たされなければならない.

こういう風に訊いてくる人は,まだ「覚えていない」状況だろうから,「理解=覚える」と考えて差し支えない.

「慣れるまで繰り返す」には,例題や演習問題を解くことも含んでいる.

何度繰り返しても覚えられない,ピンとこないということはよくある.そういうときは,そこで足踏みせず,先へ進む方がよい.あとになって読んでみると,すんなりとわかることが多い.なぜ分からなかったのかが分からないぐらい,すっと頭に入ってくることがある.ただし,「どのぐらいあとに」と聞かれれば,「わからない」としか答えられない.3時間後か,3日後か,3週間後か,3ヶ月後か,3年後か,もっと後か,何時になるかは分からない.しかし,分かる瞬間は必ずやって来る.

「覚えられない.分からない」ときに繰り返すことは苦痛だ.しんどいときに粘って繰り返す,踏ん張って繰り返す,あきらめずに繰り返す.それを支えるのが「やる気」である.

やる気があれば,早い遅いはあっても,なんとかなる.


にほんブログ村 科学ブログ 数学へ
にほんブログ村

2016年10月6日

松坂和夫「集合・位相入門」

私に集合論を書くきっかけを与えてくれたのがこの本である.


集合論の部分を読んでみて感じたところは,大体において以下の通りである.

◆納得の押しつけ
たとえば,第1章 §1 D)部分集合で,命題「PならばQ」の真偽についての説明があるが,この説明ではとても納得できない.しかも「以上で・・・論理法則上自然な約束であることが納得されたであろう」とはなんという書き方であろうか.納得するかしないかは読み手の判断であって,書き手が勝手に決めることではない.

「Pが偽のとき,『PならばQ』は真である」を納得してもらうように説明することは容易ではない.

◆たとえ話
「対応」の説明での「選挙人と被選挙人」のたとえ話はなんのために入れたのだろうか.対応の考え方はそんなにわかりにくい概念ではない.

理解を手助けするためのたとえ話なら,上記の「PならばQ」の説明にこそ必要だ.

◆「明らかに◯◯」という個所か少なからず見受けられる.むしろ多い.
私にとって,明らかではない個所がある.いったい何のために途中を省略するのか.説明が面倒なら本など書くなといいたい.

◆証明を省略している.
証明を演習問題としたり,読み手に丸投げすることは別にかまわないが,その解答を載せないというのは問題である.

 ◆くどい説明
説明すべきを説明するためにくどくなっているのなら構わないのだが,全体的に,要領を得ないくどさであると感じる.

くどいのがダメというわけではない.たとえば,橋本治の文章のくどさは嫌いではない(読むのは疲れるが).

-

揚げ足とりの,こき下ろしな感想だが,腰を据えて読んでみてのことだから仕方がない.このエントリーの第一稿はもっとボロカスに書いていたが,夜中に勢いで書いたものだったので,ボツにした.

集合論に関して,まともに読んだ最初の本である.読み進めるうちに,わからなさと共にだんだん腹が立ってきて,いっそのこと(自分用の)教科書を書いてしまえとなった.他の本で学び始めれていれば,また違ったかもしれない.